【動画】余命わずかな父に会いに日本へ

ある日、普段は全く連絡をしてこない母からの電話が鳴りました。
胸騒ぎを覚えて電話に出ると、「お父さんの病気が再発しちゃった。」と震えた声が聞こえました。
詳しく話を聞くと、再発した場所が悪く、もう手術も出来ないため、今までの全ての治療をやめないといけなくなってしまったようです。
先生からの宣告は、余命半年…。

前回、余命2〜3年と宣告を受けた時は、家族でショックを受けていましたが、手術も治療も元気に乗り越え、普通に日常生活を送る父を見て、もしかしたら治るかもという淡い期待をみんなが抱いていた矢先のことです。

夫にこの事を話すと、「1週間位なら、一人で日本に帰ってきていいよ!」と、あっさりと日本帰国を認めてくれました。お義母さんも、ふたつ返事で、我が家に1週間泊まり込みで子供達を見てくれることになりました。お義母さんは、私が2ヶ月位帰るつもりでいたようで、「1週間じゃ少ないから、もっと長く航空券取り直した方がいいよ!」とまで言ってくれる始末。本当に恵まれた環境に感謝しかありません。

ということで、長女の幼稚園休みが明けてすぐのタイミングで、日本に帰れることになりました。

お正月に倒れて、箸も持てないくらいに手が震えていたと聞いていた父は、思ったよりもとても元気でした。左半身が麻痺してしまっているので、杖をつきながらでしたが、自力で外も歩ける位だったのです。
そこで、実家滞在を延ばしてくれていた妹と一緒に、家族4人で食事に行く事にしました。
当日、父はレストランまでの道を、母に支えられながら、歩いて出かけました。食事もしっかりと平らげられるくらい元気でした。この元気な父と1週間一緒に過ごせると、この時は何も疑っていなかったのです。

しかし、その元気だったはずの父が、日に日に弱っていきました。家でも何度か転ぶようになり、自力で歩くことも、立ち上がることもできなくなってしまったのです。母と一緒に立ち上がらせた父の身体は、病気で痩せこけたとはいえ、ズッシリとした重さがありました。これでは介護をする母が腰を痛めてしまうと思い、母に施設に入れる提案をすると、「お父さんは、家で最期を迎えたいんだって。だから私が最期までみるから、大丈夫!」と、母の覚悟を目にしました。ケアマネに連絡をして、もっと介護用品をレンタルできないか確認している母の背中は逞しかったです。

あまりにも弱っていく父が心配で母に聞いてみると、「この間まで元気だったのは、お父さんがちょっと前に倒れて、先生がステロイドを多めに処方してくれてたから。ステロイドは長期的に使用すると、他の臓器に悪いから、先生どんどんステロイドの量を減らしてるの。だからどんどん元気がなくなってるんだと思う。」とのことでした。辛い現実を見ながらも、冷静に物事を判断している母の強さは凄いなと思いました。

国際結婚をした当初、老いていく親の最期がこんなに早くに訪れるとは、思ってもみませんでした。
そして、無力で、なんの役にも立たない海外に嫁いだ娘の私と反対に、日本人と結婚した妹は、フルリモートの仕事に変え、1ヶ月に1回実家に帰って母を支えています。考えすぎるがゆえに、妹は結婚は遅めでしたが、しっかりと親を支えられる環境を作って、しっかりと親孝行をしています。姉なのに私は未熟すぎて、本当に恥ずかしいです。

私が帰る日、体調が悪くてずっとベッドにいた父は、ご飯の時だけリビングにおりてきて、椅子に座っていました。父なりに、私との最後の時間を過ごそうとしてくれていたのだと思います。でも、やはり疲れてしまったようで、早々に寝室に戻って行きました。帰る時は、眠ってしまっていた父と、言葉を交わすことはできませんでした。
「わざわざ遠いところから、帰ってきれくれてありがとう!お見送りにはいけなくてごめんね。向こうでも頑張ってね!」と涙声で送り出してくれた母。こんなに大変な母を支えることも、父にもう触れることもできない。親不孝でごめんねと何度も泣きながら、フランスまで帰ってきました。

国際結婚もフランスに住むことも、自分で決めたこと。親不孝娘だけれど、夫婦仲良く、しっかりと2人の娘を育て上げることが、私にできる、せめてもの恩返しだと思っています。
身内に不幸があった時は、快く送り出してくれる夫やお義母さんに感謝して、今の人生を楽しんでいきたいと思います。

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