半年間の里帰りを終えて(デメリット)

( C’est une version japonaise de l’article « 6 mois chez mes parents (les points négatifs)».)

前回の記事では、母国に帰れて良かったこと5つを挙げました。今回は、私たちにとって良くなかったこと5つについて書いていこうと思います。

家族が離れ離れに暮らすので、ある程度のことは想定していましたが、想定外のことも起こりました。特に子どもがいると、時差のある状態での二重生活は、思った以上に大変でした。

フランスの家族と中々取れない時間

これは、フランスにいる時に日本の家族との間であった問題と全く同じなのですが、時差の関係で、テレビ電話をする時間がうまく取れませんでした。日本で都合の良い時間帯に合わせると、平日は仕事のお昼休みの限られた時間、休日は家のリフォームやジムの合間が、アルと連絡が取れる時でした。

一方ちっちはというと、イヤイヤ期真っ只中の2歳児。スムーズに事が進む時は珍しく、お風呂やご飯の時間も前後します。お昼寝をしなかった日には、夕方、機嫌も悪くなります。こうして、予定していた時間に連絡がつかないと、どちらかに予定が入っていることも多く、中々電話が出来ない日も続きました。

また、ちっちからすると、実際に会うのとテレビ電話とでは全然違うようでした。テレビ電話をしたがり、いざ繋がると嬉しそうなのですが、話しかけられると恥ずかしそうに隠れてしまっていました。どうも、相手の顔を見れるのは嬉しいようですが、話しかけられるのが恥ずかしくて嫌だったようです。父親のアルをはじめ、しょっ中会っていて慣れているはずのフランスの家族(お義母さん、義祖父母)とのテレビ電話でさえも、隠れていることが多かったです。

フランス語力の低下

日本に来た当初は、限られたフランス語の単語を使う事が多かったです。それが少しずつ日本語になり、日本語と混ざり、日本語だけになっていきました。そして、日本語では、長い文章まで話せるまでになりました。同時に、フランス語は忘れられていきました。

しかしながら、フランス語力の維持は今回の日本滞在の大きな課題でした。というのも、フランスに戻ったら、11月から2ヶ月遅れて幼稚園に通わなければいけなかったからです。園長先生からも、しっかりと釘を刺されていました。(フランスでは2019年から幼稚園が義務教育になりました。)そのため、夜にフランス語の絵本も読んだり、日中も簡単な文章は、日本語のあとにフランス語でも伝えていたりしていました。ところがある時期から、私がフランス語を話すのを嫌がるようになっていきました。アルとの会話もフランス語なので、電話をすると「きって!きって!」と言って、父親との会話にも参加しなくなり、電話はすぐに切られるようになっていきました。日本語力がとても伸びていた時期で、もうひとつの母国語が不快だったのかもしれません。嫌がることを無理にしても仕方がないということで、それから、日本語だけの生活になっていきました。日本滞在最後の2週間はアルが日本に来る予定だったので、その時にフランス語漬けにすればいいかなと呑気に考えていましたが、結局この作戦は、アルの骨折でおじゃんになりました。

そんなこんなで、フランス語力がゼロになってフランスに戻ったちっちは、フランスの家族とのコミュニケーションも難しくなっていました。そんな状態でも、気心の知れた家族には色々と話したいことが沢山あったようで、一生懸命日本語でおしゃべりをしていました。フランスの家族には全く理解できない日本語でしたが、ちっちの意図を汲み取ろうと頑張っていました。この理解しようとしてくれる姿勢が、とても有り難かったです。私は、フランス語はすぐに話せなくても、フランス語での質問は理解できるだろうと甘くみていましたが、どうもそうではなかったようでした。

また、そんなフランス語力でで幼稚園に通い始めたちっち。最初は、環境の大きな変化に、毎朝泣きながら先生に引き離される日々でした。泣かずにスッと教室に入れるようになって少しした頃先生に様子を聞いてみると、幼稚園を嫌がっている様子ではないが、ほとんど何も話さないとのことでした。

ひとりで寝られなくなった

フランスでは特別にネントレをした訳ではありませんが、自然とお昼寝も夜もひとりで寝入ることができるようになったちっちでした。しかし、半年の日本生活でこれができなくなってしまいました。

本来フランスでは、子どもは赤ちゃんの時から(新生児などの小さい赤ちゃんの時は、親のベッドに赤ちゃんのベッドをくっつけて寝る家庭もあります)、子ども部屋にあるベッドでひとりで寝るのが当たり前です。この文化の違いで、赤ちゃんと一緒に寝るか寝ないかで揉める日仏カップルもいるようです。(私はアルに寝相の悪さを指摘され、赤ちゃんを踏み潰す可能性を考えて、同じベッドでは寝ないことにしました。)

我が家は部屋数の関係で、ちっちのベッドも私たちの寝室に置きましたが、寝入る時はいつも一人でした。フランスにいた2歳半までは、ベッドに置いて「おやすみ。」と言って部屋を出て行くと、そのまま朝まで寝ていました。

日本でも、部屋数の関係で、同じ部屋で別々の布団で寝ていました。ところが、絵本を読み終わって「おやすみ。」と言って部屋を後にすると、毎晩私に付いて寝室を出てしまっていました。環境の変化もあると思い、最初の頃は寝かしつけをするようにしましたが、これが癖になり、お昼寝も寝かしつけをしないとしなくなってしまいました。お昼寝をしなかった夕方はグズグズだったので、お昼寝は必要だったのだと思いますが、誰かが一緒に寝ないと寝入りたくなかったようでした。

フランスに戻って3ヶ月以上経ちますが、今も一人では寝たくないようです。寝入る時もですが、途中で目が覚めた時に一人だと不安になるようです。今までこんなことがなかったので、どう対処していいかわかりませんが、とりあえず一緒に寝れば問題がないようなので、そうしています。フランスでは、小児精神科医を紹介されかねませんが、日本ではごく当たり前のことなので、気長に待とうと思います。

父親不の在を寂しがるように

父親のアルに似てあまり感情を出さないちっちは、自分から父親に会えなくて寂しいというようなことは言いませんでした。しかし、日本滞在が長くなっていくと、家族連れを見て「お父さんと遊んでいるね。」「あの子のお父さんかな。」など、父親に言及することが多くなっていきました。うちと同じ国際カップルを見た時には、全く見た目は違うのに、じっと父親の男の人を見ていたと、母が言っていました。

アルが日本に来る少し前からは、「お父さんと一緒にお風呂に入る。」「お父さんとここに遊びに来る。」「お父さん道知らないから、ちっちが教えてあげる。」など、父親と一緒に色々なことをするのをとても楽しみにしていました。普段あまりそういうことを言わない子なので、本当に父親に会えるのが嬉しいのだなと思ったものです。怪我で日本に来られないとわかった時は、とてもがっかりしていましたが、状況をしっかり理解していたので、寂しいとは言いながらも癇癪を起こすことはありませんでした。とても気の利く子で、毎回テレビ電話の一言目は、「お父さん、いたい?」でした。

まだ小さいと思っていたちっちですが、しっかりと父親の存在を認識していたことに驚きました。もしこの状態が離婚を前提にした別居だったとしたら、親の一方的な都合で、子どもをすごく傷つけてしまうのだなと再認識しました。結婚10周年をそれぞれの国で迎えた私たち。子どもが2人になり、生活習慣もガラッと変わりましたが、お互いに思いやりの気持ちを持って仲良く暮らしていけたらなと思います。

募る夫への不満

仕事と時差の関係で、中々2人でゆっくりと話ができない状態が続くと、色々とすれ違っていきました。こちらが大変だということは、言葉では理解してくれているようでしたが、この大変さに共感できていない印象を受けました。会話に温度差を感じたのです。

連日の猛暑とちっちのイヤイヤ期でヘトヘトな中、夜中はみみちゃんの謎のギャン泣きに付き合わされ、抱っこであやす日々。やっと寝られるのは、外が明るくなる頃でした。また、この時期は、寝不足だけでなく、今後のフランスでの生活にも大きな不安を抱いていました。というのも、この時点では、フランスに戻ると、平日はワンオペになる予定でした。

そんな中、「遅れて取れる予定だった2週間の育休が取れないかも。」というだけの電話をかけてきたのです。代案も用意せずに。ここで私の怒りは爆発。私にとって、先行き不安しかなかった平日ワンオペ生活の唯一の救いが、2週間の育休でした。それさえも取れるかわからないという一大事なのに、本人はどこ吹く風。私は、寝不足の頭をフル回転させて、有給と祝日をくっつけて連休にするという考えを思いつきました。しかし、当の本人はというと、「クリスマスと年末年始の時期に、新入りの自分が長く休みを取るのは気が引ける。」と煮え切らない様子。この態度に、再び私の怒りは大爆発。

そして、日本の明け方の3時(スイスは20時)にアルに電話をしました。もちろんこの時、みみちゃんはギャン泣き。そのギャン泣きにちっちも起こされ、母も起きていました。これからの生活への不安と寝不足の日々。日本ではこんな状態が毎日続いているのに、呑気なアルにブチギレました。そして、私には2人のワンオペ育児は無理なことを伝えました。アルに与えた選択肢は2つ。家族みんなでスイスに引っ越すか、フランスに転職して、フランスの家(スイスへの転職の前に既に購入済み)にみんなで住むか。そもそも私たちには、離れ離れに暮らさなければならない正当な理由はないというのが、私の考えでした。

このブチギレ電話で、やっと現状を認識したようで、真剣に今後のことを考え始めてくれました。そして、諸々の事情も考慮して、フランスに転職し、家族4人で一緒に暮らすということで、話は落ち着きました。

まとめ

二重生活で、夫に対してここまでイライラするとは思ってもいませんでした。一緒に暮らして、一緒に子育てに関わってくれていたことの有り難みに気づけました。子どものかわいさや大変さを、同じ温度感で共有しあえる関係性は、夫婦にとってとても大切なことなのだなと思いました。そして、一緒に育児に携わらなければ、この温度感を保つのはかなり難しいということもわかりました。

また、親が思っている以上に、子どもは、もう片方の親に会えないことを寂しがるのだと、長女に気付かされました。この事を軽んじて、里帰り出産を決めてしまい、娘には本当に申し訳なかったです。

離れて暮らしてみたことで気づけたこと、勉強になったことが沢山ありました。そして、様々な夫婦・家族の形がありますが、私たちには一緒に暮らす形が合っているなと再認識しました。これからは、みんな一つ屋根の下で暮らします。夫婦、親子、姉妹仲良く暮らせるような家庭にしていきたいです。






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