半年間の里帰りを終えて(メリット)

( C’est une version japonaise de l’article « 6 mois chez mes parents (les point positifs)».)

6ヶ月に及ぶ日本の実家での生活は、良かったこともたくさんありました。やはり一番良かったのは、娘が物心もついて、言葉も話し始めの時期に日本に住むという経験ができたことです。日本語のシャワーを浴び、日本ならではの体験もできました。私も家族や親戚、友人と会えて、楽しい時間を過ごせました。

今回は、日仏ハーフでフランスに住む2歳半の娘が、日本に住んだことで経験できたことを5つ書きたと思います。おまけで、私にもたられた心のゆとりにも触れたいと思います。

日本の家族との時間

そもそも「便りがないのは良い便り」という考え方の私たち(日本の家族)は、ちっちが生まれる前は、用がない時以外は特に連絡をとっていませんでした。ちっちが生まれてからは、少し連絡の頻度は上がりましたが、時差の関係で連絡のつかないこともしばしばでした。しかも、テレビ電話をしても、ちっちは飽きてしまうことも多く、日本の家族とはそこまで顔を見て話していませんでした。ところが実際に会ってみると、初めのうちは恥ずかしがっていましたが、両親や妹にはすぐに慣れて懐いていきました。

おばあちゃんはというと、ひ孫が可愛くて仕方ないのかグイグイ距離を縮めたがりました。自分のペースで近づいていきたいちっちは、最初は怖がり中々近づきませんでしたが、長めの滞在だったので、少しずつ仲良くなっていきました。耳の遠いおばあちゃんとの会話は成り立っていませんでしたが、一緒にお人形や積み木で遊べるまでになりました。

また、いとこ達と母の実家で集まったり、みみちゃんが生まれてからは家に来てもらったりもしました。私のおじさんやおばさんも沢山声をかけてくれましたが、人見知りでずっと隠れていました。年の近いいとこの子どもにも会えましたが、元気な2人の男の子に圧倒されていて、いとこと遊んでいました。人見知りのちっちがいとこに懐いたのには驚きでした。穏やかな性格のお姉さんだから気に入ったのかもしれません。

フランスで可愛がってもらっているように、日本の家族にもたくさん可愛がってもらいました。

日本の文化・行事への参加

今回の滞在では、主に夏を日本で過ごしたので、お盆や盆踊り、お神輿を引いて歩いたりという経験ができました。地元の花火大会にも連れて行きたかったのですが、残念ながら台風の影響でキャンセルになってしまい、見に行けませんでした。また、日常生活では、布団で寝たり、お風呂に入ったりというのが日本ならではだったかなと思います。

盆踊り

近所の盆踊りでは、和太鼓の演奏を聞いたり、その周りで踊る人たちを見ました。休憩中にはスイカや駄菓子が配られ、それをもらって食べました。初めてのラムネのお菓子がかなり気に入ったようでした。

大きい音にびっくりするかなと思っていたのですが、そんな心配も杞憂に終わり、盆踊りが終わってからも「たいこ!たいこ!」と言っていました。昔一緒に和太鼓を習っていた友人が太鼓を叩いていたのもあるかもしれません。ハッピを見たのも初めてでした。その友人が家に遊びに来てくれた時も、「たいこのお姉さん」と呼んでいたくらい、印象的だったようです。

幼稚園の盆踊りでは、幼稚園生による和太鼓や踊りを見ました。小さい子たちの頑張っている姿はとても可愛かったです。そしてなんと、ちっちにもその小さい和太鼓を叩かせてもらえる機会がありました。叩きたがっていたので絶好のチャンスだったのですが、物怖じしてしまい見るだけに終わりました。

引っ込み思案は困ったもので、盆踊りが終わってから、「たいこがたたきたい!たいこがたたきたい!」と言っていました。あれだけ「太鼓叩いてみる?」と誘ってもらったのに…。

お盆

お盆を日本で過ごしたので、お墓参りにも行きました。父方と母方でお墓も違うので、2回お墓に行き、お線香やお花、御供物をあげたり、墓石に水をかけたりしました。桶や柄杓を使ってお水をかけるのが楽しかったようでした。

布団・畳

収納の関係で、実家を出た私たちにはベッドはなく、帰省した時は布団で寝ます。なので、フランスではベッドしかない生活ですが、日本滞在中は布団で寝ました。そして、布団を干したり畳んだりということも楽しんでいました。また、母の実家に行った時は、畳の部屋で座布団にも座りました。家でも、フローリングなのにちゃぶ台に座布団生活なので、違和感はなかったかもしれません。

お風呂

浴槽と洗い場が別々の日本のお風呂には毎日入りました。湯船で水遊びをして、洗い場でしっかりと頭と体を洗い、また湯船に浸かれるのも、フランスでは出来ない経験です。夏場でしたが、お風呂に入りたがったので、毎日お湯を沸かしてもらいました。私たちのフランスの家には浴槽もないので、かなり楽しんでいました。

一時預かりで日本の幼稚園を疑似体験

せっかくの日本滞在ということで、日本の子どもたちとの交流を持ってほしいなと思っていました。でも、友人の子はもう保育園か幼稚園に通っていて、平日に会うのは難しそうでした。そこで児童館に行ってみるも、大きい子で1歳くらい、それより小さい子がほとんどでした。母曰く、私たちが小さい時は、もう少し大きい子たちもたくさん児童館で遊んでいたようなので、きっと時代が変わり、共働き世帯が増えたからなのでしょう。

そんな矢先、たまたま運が良いことに、近所の幼稚園が一時預かりも始めたということを知りました。初めて家族以外の人と過ごすことになるので、最初はとても不安でした。しかし、9月からのフランスでの幼稚園生活に向けて、親と離れる練習の為に利用することにしました。

初日だけ離れる時に少し泣いていましたが、さすがは保育のプロ。次の預かりの時からは泣くこともなく、週に2回朝の2時間だけお願いするようになりました。運が良かったのは、まだ預かりを始めたばかりということで、かなりの少人数で、時にはマンツーマンで見てもらうこともありました。多くても4人ほどで、2人ということも多かったです。そんな小さなクラスは引っ込み思案なちっちに合っていたようで、小さなお友達のお世話をしたり、先生に遊んでもらったりして、とても楽しんでいました。9月と10月は、お弁当を持って、5時間預かってもらいました。

幼稚園の先生も、集団生活に慣らせるために通わせているという意図を汲み取って下さって、1人の時には年々少さんのクラスに入れて下さり、同年代の子と遊ぶ機会も作って下さいました。

そして、少しずつ物怖じせずにお友達の中に入っていけるようになっていったのが、大きな成長でした。プレ保育の帰りの体操の日に預かりの時は、「一緒にやってみる?」と声をかけてもらい、参加させてもらいました。最初はみんなの輪に入るのも拒んでいましたが、何度も参加するうちに、抱っこで遠くから参加していたちっちも、抱っこから降り、輪に近づき、輪に入れるようになりました。皆と一緒に、先生の真似をして踊ることまではできませんでしたが、大きな成長です。

細かいところまで目を配って下さった先生たちに囲まれ、少しずつですが成長して行く姿を見られた5ヶ月間でした。最終日には手作りのアルバムまで頂きました。これにはアルが感激していました。こんなによくして下さって、私たちは本当に恵まれています。

日本語をどんどん吸収する娘

2歳児検診で言葉の遅れを指摘されたように、ちっちは日本語もフランス語もかなり遅れていました。2歳半で、単語を少し話す程度の語学力でしたが、それでもフランスに住んでいたので、フランス語の単語の数の方が多かったです。

日本に来てからも、最初はフランス語の単語で両親と話していました。それを私が訳しているうちにどんどんと日本語の単語の数が増えていきました。

特に、否定語が難しかったようで、最初は「着るnon」、「食べるnon」「行くnon」というように、動詞に否定語の「non」を付けて話していました。そんなちっちを見ていると、確かに日本語にはそういう難しさもあるのかと、新たな発見ができました。「きる」も「着る」だと「着ない」ですが、「切る」だと「切らない」になるって意識したこともなかったので、こういう視点から日本語を見れてよかったです。そして、私たちが言い直す日本語を聞きながら、あっという間に否定語もマスターし、日本語だけの文章になっていきました。

また、「こそあど言葉」や日本語特有の「てにをは」表現も、そんなに苦労することなく習得していく姿を見て驚きました。限られた単語しか話さなかった娘が、あっという間に文章での会話ができるようになっていくのを目の当たりにして、いい時期に日本に帰ってこれたなと思いました。

私だけが一方的に話すのを聞くだけでは、伸びの少なかった日本語ですが、私がちっち以外の人と話している言葉や周りの人の日本語を聞いて、どんどん自分のものにしていったのだと思います。やっと一緒に会話ができるようになって感激しました。

娘の引っ込み思案が良くなった

児童館や幼稚園などで家族以外の人と交流を持つようになったり、私の友人や親戚とも会うようになって、人に対する恐怖心が減っていったようでした。話しかけられても、逃げたり泣いたりしなくなっていきました。相変わらずモジモジはしていましたが、少しずつ挨拶もできるようになっていたのは大きな成長でした。

一人が大好きな私は、フランス生活で友達がいなくても十分楽しんでいました。その為親になっても、知り合いや友人も少なく、それが、ちっちを人見知りで引っ込み思案な性格にしたのかもしれません。

日本では、私の人付き合いの回数も増えました。そうやって、気心の知れた人たちと楽しそうに話している私の姿を見て、ちっちの人見知りや引っ込み思案は良くなっていったのかなと思っています。

面白かったのは、人見知りのちっちも、私が仲良くしている人たちには比較的早く心を開いていたことです。私と他人との距離感を敏感に感じ取って、安全な人かを見ていたのかもしれません。だとしたら、一人が好きでも、もうちょっと頑張って人付き合いをして、フランスでも仲良くできる人を見つけていかないといけないなと思いました。

おまけ(母として持てた心のゆとり)

気心の知れた家族や親戚、友人と過ごす時間は、心にゆとりをもたらしてくれました。子育ての悩みや愚痴も聞いてもらったり、アドバイスをもらったり、会って話せるのはやはりいいですね。

また、両親にちっちを見てもらっている間にひとりで出掛けられたのも、とてもリフレッシュになりました。

妹が実家に帰ってきている時は、母の粋な計らいで、2人でご飯を食べに行ったりお散歩に行ったりしました。「住んでる国も違うし、お互いが家庭を持ったら、こういう時間も取れなくなるから。まだ子どもが1人のうちに、2人で出掛けてきな!」と、ちっちのお世話を引き受け、私たちを送り出してくれました。何でも話せる妹に、色々な話を聞いてもらって、時には叱ってもらって、妹の話も聞いて、久しぶりの姉妹水入らずの時間を堪能しました。

そうやって私がリラックスして過ごせていると、イヤイヤ期のちっちに対する対応も穏やかなものになりました。イライラはしても感情的に怒鳴ることは減りました。また、心に余裕が持てたことで、状況を冷静に見れ、出来たことや良いところにも目を向けられるようにもなりました。子育てに行き詰まっている時こそ、人に会うことの大切さをヒシヒシと感じました。母国語で愚痴や悩みを話せて、時には遠慮なく頼れる人がいるだけで、心が軽くなりました。

まとめ

日本には私の家族や友人ががいて、そんな気心の知れた人たちとゆったりと過ごせました。子育てへのストレスも、発散できました。娘も、私が両親や友人とペチャクチャおしゃべりをしている姿を見て、日本語の使い方を学んだのではないかと思います。「日本語が話せると、日本の家族と楽しい思い出が作れる。」という良いイメージが出来ていたら嬉しいです。

しかし、フランスに戻り日常生活を送りながら思うことは、娘にとっての一番の幸せは、両親と一緒に暮らすことだったような気がします。今娘は、父親に思いっきりワガママを言い反抗し、たくさん甘えています。赤ちゃん返りのせいもあるかもしれませんが、とにかく反抗も甘えも全力です。怒られることもよくありますが、それでも嬉しそうに、また反抗しては甘えています。

そんなことも踏まえて、次回は、半年間の里帰りのデメリットを書きたいと思います。




最後までお読みくださり、ありがとうございました。

クリックしていただけると、とても励みになります。

Laisser un commentaire

Votre adresse e-mail ne sera pas publiée. Les champs obligatoires sont indiqués avec *