心配が尽きなかった娘の3ヶ月間(前編)

( C’est une version japonaise de l’article « L’ inquiétude jusqu’au 3 mois de notre fille 1/2».)

この3ヶ月間は、ギャン泣き、体重停滞、新生児黄疸、吐き戻し、乳児血管腫(いちご状のあざ)など、心配なことが続き、色々な専門家のもとを訪れました。

当時は、この心配な状態がずっと続くと思っていたので、精神的にもとても大変な時期でした。

今回は、産まれてから産院で過ごした5日間を振り返りたいと思います。

この時の心配事は、おっぱいをきちんと飲めなかったことです。その為、体重が増えずに、新生児黄疸が進行していきました。そして、治療をすることになり、入院も3日間の予定が2日延びてしまいました。


産声を上げない赤ちゃん

産院に着いたのが明け方の1時。

娘ちっちが生まれたのは朝の6時。

家での9時間ほどの陣痛を前駆陣痛だと勘違いしていたせいで、産院に着いてからは、あっという間の出産となりました。

本来なら、助産師さんが赤ちゃんを取り上げてくれるのですが、どこかで引っかかっていて中々出てこず、心拍が心配になってきた為、お医者さんとバトンタッチ。吸引分娩で生まれてきました。

娘が初めてお腹の上に乗せられた重みに感動している中、「へその緒切りますか。」「いえ、大丈夫です。」というようなやりとりがあって、慌ただしく、娘はどこかへ運ばれていきました。

この時、初めて、娘が産声を上げていなかった事に気づきました。アルはその事に気づいていたらしいのですが、私が気づくまでは心配させまいと、何も言わずにいたようです。

分娩室には私たちだけが残されました。静寂に包まれていました。

しばらくすると、処置をしてもらった娘が戻ってきました。酸素を供給するモノをつけていました。

そして、上半身裸のワタシの胸に、産まれてきたばかりのしわくちゃな娘は乗せられました。酸素を供給するモノを付けたまま、暖かい光を当てられて、1時間ほどのカンガルーケアーの時間です。今までお腹の中にいた子をようやくゆっくりと抱っこでき、母親になったんだなとしみじみとした感傷に浸りました。

結局、産声は上げませんでしたが、すぐに処置をしてもらえたおかげか、何の障害も残らず、元気に過ごしています。


おっぱいを咥えて3秒で居眠り、空腹でギャン泣き (大幅な体重の減少)

私は母乳育児を希望していたので、生後2日間は、母乳だけで育てさせてくれました。

何度か助産師さんが、おっぱいをあげる様子を見てくれましたが、中々しっかりと飲まずに寝てしまうちっち。

助産師さん、夫アルと私の大人3人で、おっぱいを咥えながら居眠りするちっちをくすぐってもその場では全く起きる気配がありません。

そして、30分後にお腹が空いてギャン泣き、というのが昼夜繰り返されました。

そこで3日目から、おっぱいを咥えさせながら、そこに細い管を添え、そこからミルクが出てくるという措置を取る事になりました。しっかりと吸わないと出てこない母乳と違って、流れてくるミルクはゴクゴクと飲むちっち。こうやって、赤ちゃんにおっぱいを吸うと母乳が出てくるという事を覚えさせるそうです。

相変わらず、おっぱいはしっかりと吸わないのに、管を通して流れてくるミルクや、哺乳瓶で与える搾乳した母乳はしっかりと飲む娘。なんとか、こうやってお腹が一杯になった時だけ、泣かずにスヤスヤと寝てくれるようになりました。

産まれたての赤ちゃんがおっぱいを吸うのは、当たり前のことだと思っていました。まさかこんなに体力が必要なことだとは思いもしませんでした。こうやって、娘と一緒に色んなことを学んでいくのが、親になるということなのかもしれません。

そうとは言っても、娘よ、もうちょっと頑張れ!


脱水症状、新生児黄疸からの光線療法

生後2日目、オムツ替えをした時に、オムツに血がついていて私たちは固まりました。

助産師さんにそれを見せると、脱水症状だと言われ、私たちはショックを受けます。

でもこれだけでは終わりません。

新生児黄疸がどんどんと進行していたのです。

本来なら、排泄をする事でその数値は落ち着くようなのですが、おっぱいを飲まなければおしっこが出ない。おしっこが出ないから、数値はどんどん高まるという悪循環に陥っていました。

生後4日目の夜7時、ちょうどアルが帰ろうとしている所、夜9時頃から光線療法を行う旨が伝えられました。

新生児黄疸の数値が高く、治療をする必要があると小児科医が判断したそうです。

それは、約6時間、娘に赤外線と紫外線を当てるというもの。

娘の体調を配慮して、何度か休憩をはさみながらではありましたが、目を覆われ、手足を縛られた娘を見るのはとても心苦しかったです。

私は、部屋で搾乳をしながら、電話がかかってくるのを待ちました。電話が鳴るとそのおっぱいを持って、治療室に向かいました。おっぱいだけでは足りず、与えられたミルクをゴクゴクと飲み、何度もうんちをしてはオムツを替えてもらっていた娘を見て、少し元気づけられました。

そして、明け方の4時過ぎに、治療を終えて眠っている娘が帰ってきました。


まとめ

娘の体重と新生児黄疸の心配をし続けた5日間の入院生活でした。

搾乳で取れるおっぱいの量も徐々に増えていき、わずかではありますが、体重も増え始めていました。そして、光線療法のおかげで、新生児黄疸の数値も落ち着き、ようやく退院の許可が降りました。

まさか、出産した日から眠れない夜が待っているとは思ってもみませんでした。それでも、夫が育休で毎日産院に駆けつけてくれて、一緒に色々と悩めたことは、今となってはいい思い出です。辛い時期も永遠には続かない、そう思ってこれからも子育てを頑張っていこうと思います。


次回…

ようやく退院できると喜んでいたのも束の間です。私たちを待ち受けていたのは、新たな心配の種たちです。娘が3ヶ月になる頃までは気が休まらない日々を送ることになります。

次回は、退院後から生後3ヶ月の記録です。この時期は、相変わらず増えない体重に、昼夜繰り返される原因不明のギャン泣きに頭を抱えることになります。その上、専門医の受診も勧められたりと、奮闘記は続きます。




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2 Comments

  1. はじめまして。ランキングからやってきました。
    あまりにも現在10歳になるムスメの赤子期にそっくりで、エールを送りたくてコメントしています。
    36週で小さく生まれてしまい体力もなかったのか、本当に母乳の飲みが悪く体重も増えず、黄疸治療もしましたし、哺乳瓶もなかなかうけつけてくれず、飲めば飲んだで吐き戻し(逆流性胃腸炎)もあり、最初の3ヶ月は夫婦揃ってゾンビでした。
    そんな彼女も今ではウォールクライミングをする元気な食べ盛りの小学生です。

    一番伝えたいのは、飲みが悪いのも体調も全て「赤ちゃんの個性」だということです。
    私は2年半後に二人目を出産したのですが、これまで吸い付きのよい、飲みだしたら吐くまで飲む(逆流性胃腸炎とかではなく、満腹中枢が発達していないので、限界まで飲む)赤子で、よく飲むのでよく寝るし、その分大きくなるので機嫌も安定しているという姉弟とは思えない差に愕然としました。
    「おっぱいが出ないのは母のせいじゃない」を嫌というほど実感し、上の子のときに悩んでいたのがパカみたいに思えてきました。
    それで飲まない赤ちゃんの問題が解決するわけではないのですが、母乳が軌道にのらなくても粉ミルクでも問題なく大きくなりますし(哺乳瓶問題はありますが)、お母さんの気持ちの助けになればいいなと思います。長文失礼しました。

    1. akikoさん
      ご丁寧なコメントありがとうございます。初めての子で、私と同じような経験をされたとのことで、勝手に親近感を抱かせていただきました。そんな娘さんも、ウォールクライミングをされたり、ご飯もモリモリ食べるくらい元気に成長しているのですね。そのような経験談をお聞きできて、とても励みになります。

      また、弟さんはお姉ちゃんとは全く違う成長を見せてくれているというお話も、2人目を授かれたらなと思っている私には有難いお言葉です。姉弟でもそんなに違うものなのですね。

      2児のお子さんを育てている先輩ママさんからの、「全ては赤ちゃんの個性」というお言葉は、精神的に辛かった当時の私の心を温かく包んでくれるような気がしました。

      温かいエールのお言葉、本当にありがとうございました。

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