夫が父親らしくなったきっかけは、育児休暇

( C’est une version japonaise de l’article « Le congé paternité a sans doute rendu mon mari comme un père ».)


フランスでは、2週間だった父親の育児休暇が、2021年6月から4週間に延長されました。残念ながら2020年に父親になった夫には、2週間の育児休暇しかもらえませんでしたが、それでも、私の妊娠中とは明らかに顔つきが変わり、みるみる父親らしくなってくれたアル。この2週間の育児休暇(に加えてコロナ禍でのリモートワーク)のおかげだと思います。

今回は、父親の育児休暇で夫がどう変わっていったのかを書いていきたいと思います。

ちなみに、フランスには子育て休暇(congé parental)という制度はありますが、取得している人はあまり多くない肌感です。というのも、この子育て休暇中、お給料は一切支払われません。条件を満たすと、国からの援助が少し出ます。でも、それだけでは生活の足しにしかならないので、職場復帰する必要があるのだと思います。



妊娠中

私たちの娘ちっちは、アクシデントではなく、結婚6年目に望んで宿ってくれた子です。子どもを考え始めてから、1年近くかかりました。それなのにも関わらず、妊娠がわかった時のアルの反応はというと、かなり微妙。もともと感情を表に出さないタイプではありますが、こちらとしては拍子抜け。

見かねて、健診の時に産婦人科の先生に相談すると、「男親ってそんなもんだから大丈夫よ!自分の身体に変化がないから他人事なのよ。奥さんのお腹が大きくなってるのに他人事の人も多いし。でも、産まれたらちゃんとするから大丈夫!」と元気づけられました。

この時は、「そんな急に親になるのかな」と、かなり半信半疑でしたが、後に、先生の言葉が正しかったことを思い知らされます。

とにかく、妊娠が分かった時と妊娠中は、アル自身はあまり自覚をしていなかったような気がしました。大きくなったお腹が胎動で動いていても、そこまで興味がなさそうでした。お腹に話しかけたりお腹を撫でたりといった行動も見られませんでした。(お願いした時はしてくれましたが…)この人と一緒に子育てをしていけるのかと、本当に不安な時期でした。

それでも、私の食べるものには気を遣ってくれていました。お肉はしっかりと焼いてくれたり、sushiを食べるのを控えたり、生野菜を薄めたお酢につけてくれたり。私のお腹の中に、小さな命が宿っているということはなんとなくわかっていたようでした。



出産と入院

コロナ禍でも、フランスでは子どもの父親には、母親と同じ権利が認められていました。出産に立ち会うことも、面会に来るのも、父親だけに許された特権です。(赤ちゃんの兄弟や祖父母は面会禁止)もちろんコロナ陰性の場合のみですが。

アルは出産に立ち会ってくれました。無痛分娩だったので、特に苦しむこともありませんでしたが、痛みに悶える私の姿は家から目の当たりにしていました。産院に着いて麻酔を打ってもらうまでの約8時間の陣痛に、麻酔が切れかけて唸る私。麻酔が切れかけてきたら、ボタンを押して追加するということをすっかり忘れてしまっていた失態です。ただ、私が痛みに弱いことは知っているので、どの程度の痛みとして捉えていたのかはわかりません。

こうして、私が痛みに苦しむのも出産するのも全て見ていたアル。

産後、分娩台の上でまだ動けない私の隣で、アルは看護師さんのするオムツの付け方や服の着せ方をしっかりと見ていました。そして看護師さんがやってくれるのを見ながら、見よう見まねで挑戦していました。「ちっちの初めての黒いうんちを綺麗にしたのは俺だ!」と得意気です。

5日間の入院中、育休中のアルは、毎日9時から19時頃まで会社に行くように産院に来てくれました。

赤ちゃんのお世話記録用紙が用意されていたので、産院に着いたら、まずそれに目を通すのがアルの日課でした。娘の排便やおっぱいの回数にしっかりと関心を持ってくれている印象でした。おしっこの回数が少ないことや、夜は授乳が1時間おきで、私が眠れていないこともわかっていたようです。そして、毎日赤ちゃんの着た服を持ち帰り、洗濯し、綺麗な着替えを持って来てくれました。必要なモノがあれば、薬局やお店にも行って買ってきてくれたりもしました。

妊娠中とは打って変わって、もう立派な父親です。

また、新生児黄疸の検査のため、生後数日で2回も手の甲に注射針を刺され、採血をされている娘を見ながら、一緒に眉間に皺を寄せました。採血後は包帯が巻かれ、まるでボクサーのような小さな手を見て、一緒に心を痛めました。

そういった辛い経験も一緒にできたのは、とても心強かったです。



自宅での育児

コロナで毎日在宅勤務になり、仕事に集中できているかはさておき、私の育児の悪戦苦闘ぶりをよく目にしてくれていました。

1LDKの間取りの為、仕事も育児もリビングです。よくあのうるさい中文句も言わずに仕事をしてくれていたなと感心しています。

コロナは世界中が大変な時期ではありましたが、それでも私にとってはいい面もありました。

1つ目は、在宅勤務で、初めての育児にてんてこ舞いな私の様子を見てもらえたことです。子育てってどうしても目に入りにくくなってしまうような気がします。仕事に行ってしまうと尚更のこと。夫は仕事に集中出来ずに大変な時期だったと思いますが、こんなことでもないと在宅勤務が国から推奨されることもなかったと思います。私には有り難かったです。

そして2つ目は、夫が仕事中とはいえ、家にいてくれたことです。生後数ヶ月間は、娘の健康状態が心配な時期でした。そんな心配を共有できる人の存在は、心の支えになりました。



父親の育休には本当に助けられた

妊娠も出産もしない父親は、母親と同じタイミングで親になる自覚をしにくいのかなと思います。実際、夫アルが積極的に行動し始めたのは、娘が産まれてからです。

出産前準備の買い物の時は、私の後ろを付いて歩いていただけだったのが、娘が産まれてからは、「このタイプの服は着せづらい。」などと言い始め、育児を自分事として捉えてくれるようになりました。

まさに産婦人科の先生の言っていた通りです。

この2週間の育児休暇は、父親になっていくアルを目の当たりにできた時でもあります。

あんなに大きくなっていく私のお腹に無関心だったアルが、こんなに変わっていくとは、全く予想していませんでした。抱っこも、着替えも、オムツ替えも、ミルク(搾乳した母乳)も、全てに積極的に取り組んでくれたので、すぐにひとりでなんでも出来るようになっていきました。



まとめ

父親の育児休暇は、妊娠によって親になることを自覚しにくい父親にとって、とても大切な制度のような気がしました。育児に一緒に取り組むことで、女親も最初から完璧な母親ではなかったということが見えやすくなる。すると、男親の方も育児への障壁が低くなるような気がしました。 

女性もフルタイムで働く(働かざるを得ない)共働き家庭が当たり前のフランスでは、父親も育児に参加しないと回らないというのが現実なのかもしれませんが…。

また、外からは中々見えない子育ての大変さ。例え数日間だとしても、朝から晩まで四六時中赤ちゃんのお世話に携わると、その大変さも実感しやすいような気がします。

もちろん、外でのお仕事もとても大切で大変だと思いますが、子育てには、またそれとは違った大変さがあると思います。全てが赤ちゃんのペースで、睡眠時間はおろか、食事時間もまともに取れない日々。そんな日々は誰からも評価されません。孤立しやすい子育ての大変さを、夫婦で経験するのは大切なことだと思いました。

日本でも、父親がもっと育児休暇を取りやすい環境になって、長時間労働が減っていったらいいのになと思います。そうすれば、父親も子育てに参加しやすくなり、父親が家庭で蚊帳の外という状態になりにくそうなのになとも思います。

とは言っても、それが中々できない日本のシステムだからこそ、里帰り出産という日本独特の出産文化ができたのかもしれませんね。






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