結婚反対② (両親を心配させてしまった反省点)

(C’est une version japonaise de l’article « Ma famille était contre ce mariage 2/2 ».)

前回は、未熟で何も考えずに国際結婚を決意し、両親を心配させたという恥ずかしい記事を書きました。

今回はそんな反省点を書いていこうと思います。


日本人同士の離婚が全体の1/3なのに対して、国際カップルの離婚は半数を占めます。言語や文化など様々な要因が、結婚生活をより複雑なものにするのかもしれません。そう考えると、当時の両親の心配も的を得たものだったはずです。今回は、当時の両親の心配を元に、どうすれば良かったのかを振り返り、私なりに反省したいと思います。



反省点

ビザの為に結婚をするべきではなかった

偉そうに言う事ではありませんが、まずそもそも、私のように恋愛モード全開の時に結婚を決めるものではありません。現実にしっかりと目を向けられないと、どうしても夢を見がちになってしまいます。特に国際結婚では、前回の記事にも書いたように、文化や法律の違いも出てきます。仕事やお金、子供の事についても予め話し合って、ある程度現実的に方向性を決めていた方が良いと、今なら過去の自分に偉そうにアドバイスします。

私がフランス人だったら(ビザの問題がなかったら)、結婚を考える事はなかったと言ってのけたアル。ビザ問題で結婚を意識せざるを得なくなったという状況です。結婚をどの程度真剣に考えていたのかはわかりませんが、少なくとも私の両親の目には、そう映らなかったようです。(私は相変わらず恋愛モード全開で戦力外。)

今から思うと、もう少しアルにしっかりと考える時間をあげるべきだったと反省しています。将来の事についてしっかりと話し合って、一人で考えてもらう。その上で、煮え切らない態度なのであれば、そういう事だと割り切ってそれぞれの道を行く。(恋愛モード全開だとこの選択肢を忘れがち。)そして、結婚を考えてくれる別の人を探す。私が結婚の決断を早まらせた事で、アルの煮え切らない態度が強調され、両親から不信を買うことになってしまいました。ビザ問題にぶつかった時、結婚は万能な解決策ではありません。

相手の国の言語と文化をもう少し深く知ろうとするべきだった

結婚後に自国に住むとしても、相手の国の言語や文化を学んでおいて損はありません。というのも、結婚に際して相手の両親に会う可能性は高く、結婚後もその関係性は続くからです。最低限、相手の文化で失礼になる事を知っているだけでも、余計な軋轢を生まずに済みます。また、子供のバイリンガル教育でも、言葉をある程度理解できていれば、状況を把握しやすいかなと思います。

アルは日本に住んでいたので、日本語を話せましたし勉強もしていました。しかし、日本の結婚についてはチンプンカンプン。私の拙いフランス語での説明よりも、ドラマや映画を見てもらった方が、結婚の挨拶などの雰囲気が伝わりやすかったかなと思っています。

結婚式は両方の国のやり方を織り混ぜるべきだった

経済的に可能なのであれば、それぞれの国で式を挙げるのが理想です。しかし、私たちのように、どちらかの国一方で式を挙げる事になるパターンもあると思います。

私たちはフランスで結婚しました。私の家族以外は皆フランス人だったので、結婚式もフランス仕様にしました。言葉を理解しなくても楽しめるようにマジシャンを呼びましたが、もう少し私の家族に配慮すべきだったと後悔しています。

1年程かけて結婚式の準備をするのが一般的なフランスで、私たちの準備期間は3ヶ月弱。(フランスでは、ウエディングプランナーにお願いするとお金がかかる上に日本のような高いサービスが期待できないので、自分たちで会場の手配やカメラマン、披露宴での余興など、全てを準備計画するのが一般的です。)しかも、結婚式の日がイベントの日に重なってしまい、中々会場が押さえられない、やっと見つけたと思った所からはギリギリでキャンセルされる、といったバタバタな中で結婚式当日を迎え、周りを見る余裕がなかったというのが言い訳です。

「お父さんとお母さん、ちょっとがっかりしてたよ。最後に花嫁の手紙みたいなのを期待してたみたい。」式から数日後の少し落ち着いてきた頃、ふと妹が口にした一言です。知らない土地で、わからない言葉のまま式は進み、最後は朝まで音楽ガンガンで踊るという予想外の展開に巻き込まれた両親。遠くから駆けつけてくれた両親を楽しませるどころか、がっかりさせて疲れさせてしまうという親不孝娘。両親を思いやる事が出来なかったこの後悔を胸に、これから少しずつでも親孝行をして感謝していきたいなと心に誓いました。

そして、これから述べる以下の2点が、特に深く反省したことです。

将来をもっと具体的に考えるべきだった

私たちの結婚の最大の反省点が、将来設計がほとんどなかった事です。なんとかなるだろうと世の中を甘く見ていました。特に、一方の生活がガラッと変わってしまう場合には、きちんと計画を立てておいた方が良いと思います。仕事(フルタイム、パート)、生活費の負担額(収入に差がある場合はどうするのか)、義理家族との付き合いの頻度(お盆とお正月の2回位だと思っていたらビックリ仰天)、子供(いつ頃から何人欲しいのか、預け先はどうするのか、専業主婦/夫、保育園、ベビーシッター)、子供の教育(モノリンガル、バイリンガル、マルチリンガル、公立、私立)など、話し合っておく事をオススメします。

幸いにも子供はすぐに作らないという事で合意していたので、子供については話し合う時間も沢山ありましたが、仕事ではかなり揉めました。(フランスは失業率が高い国です。外国人で特にスキルがなければ、仕事は限られてきます。)

日本語教育の大切さは、こんな話を聞いて実感しました。
フランスで離婚をし、子供と日本に帰りたかったけれども帰れなかった日本人女性がいたそうです。というのも、フランスで生まれ育った子供に日本の学校に通えるだけの日本語力がなかった。子供と離れたくないという理由で、泣く泣くフランスに残る道を選んだそうです。
また、バイリンガル教育にはパートナーや家族の理解が必要不可欠だと言います。モノリンガルの子供に比べて、喋り始める時期に遅れが出てしまうからだそうです。

自国に呼び寄せる方は、相手はアウェーだという事を忘れてはいけない

第三国に移住する場合は、両方にとって平等な不自由さがあります。新しい国でのゼロからのスタートは、仕事探し(ビザの関係で既に仕事が決まっているかもしれませんが)、新しい友達や人脈作りに習い事など、全てをお互いが慣れない外国語でやっていかないといけません。

しかし、もし片方だけが自国を離れないといけない場合、そうはなりません。

私がしんどいなと感じているのは、仕事(を見つける事)と、生活していく上で外向性や社交性を求められるところです。

女性の社会進出の進んでいるフランスに、専業主婦/夫はあまりいません。共働きが当たり前という社会です。だから、仕事の話や職業は本当にどこでも聞かれます。友達同士の集まりで、日曜日の家族の集まりで、診療所で、婚姻届や出生届まで、具体的な職業を聞かれます。仕事は、雑談内容の第一位です。会社員や公務員と答えるだけで、それ以上はあまり深入りされない日本と違って、フランスは生活の為だけに働いている人には厳しい社会です。(こうやって、より人に会うのが面倒になっていくという悪循環。)

外向性や社交性を重んじるフランス文化で、人付き合いを極端に避けると、取り残されてしまいます。役に立つ情報はいつも人伝にしか伝わりません。しかも、祝祭日や日曜日はどこも閉まっているので、やる事がない。そうなってくると、皆で会おうとなりやすいです。その上、カップル社会フランスでは、私は行かないという選択肢がありません。(祝祭日は家でゆっくりしたいのに、仕事も休みだと行かない理由がなくなります。)アルに何回も、自分の友達や家族に一人で会いに行くのは、日本では普通だから一人で行ってきていいよと伝えました。しかし返ってくるのは、「それだと皆に来ない理由を色々聞かれるし、嫌っていると勘違いされるから、一緒に来て!」というもの。個人主義の国じゃないのか!と何度も思いました。

本当は大好きな人たちでも、私のペースで連絡をとると、嫌われていると勘違いされます。休みを一人で過ごすと言うと心配されて、誘われたりします。家に人を呼んだり、頻繁に人に会うと疲れてしまうという事が理解されないので、どのように付き合っていけばいいのか、未だに試行錯誤中です。

(日本でもかなりの)内向的で非社交的な私には、日本はとても住みやすい国です。誰かと連まずに一人で出来る事が多いからです。日本を出なければ気付けなかった事です。飲食店にも一人で行ってもあまり浮きませんし、一人カラオケに始まり、漫画喫茶、映画、銭湯、小旅行、山登りと一人で出来る事も沢山あります。仕事帰りや週末に、習い事をする事もできます。少しだけお金を払えば、至福の一人時間が楽しめる。次の一時帰国が楽しみです。

まとめ

まだまだ未熟だった私が結婚を決意し、随分と両親に気苦労をかけてしまいました。きっと両親には、私たちには気づけていなかった考え方のズレが見抜けていたのかもしれません。常識が違えば暗黙の了解はない、言葉の不自由さは意図を伝えきれないという事をもっと把握した上で、話し合いを繰り返すべきだったなと思います。そして、考え方の違い受け入れながら、お互いに歩み寄ろうという姿勢を持つ大切さを学びました。結婚という枠組みが出来たからこそ、問題にぶつかる度に立ち向かわなければならなかった。そして、そうしていくうちに、少しずつ成長し、関係性を深めていけていると信じて、頑張っていきたいと思います。

両親の名誉の為に言っておきますが、複雑な思いを抱きつつも、私たちの結婚に表立って反対はしませんでした。この子はどうせ反対した所で言う事を聞かない。たとえもし言う事を聞いたとしたら、どこかで必ず後悔をする。たとえ傷つく事になっても、それもこの子の人生。やりたいようにやらせてみようと、過保護な母も、最後は笑顔で送り出してくれました。両親には本当に感謝しかありません。


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