心配が尽きなかった娘の3ヶ月間(後編)

( C’est une version japonaise de l’article « L’ inquiétude jusqu’au 3 mois de notre fille 2/2».)

前回に引き続き、心配が尽きなかった娘ちっちとの日常です。産院を退院後も、子育てはそう簡単にはいきませんでした。

この時期は、相変わらず中々増えない体重に、原因不明のギャン泣きが続きました。赤ちゃんも泣いてばかりでほとんど寝なければ、母親の寝不足はもっと深刻です。泣き止まない赤ちゃんをあやしながら、毎3時間の搾乳で、まとまった睡眠が取れない日々が続きました。その上、健診の度に、「念の為」と専門医を受診するように指導もされました。寝不足の中、バタバタと色々な病院の科を渡り歩くことになるのです。


大量の吐き戻しと増えない体重

入院中も退院後も、最優先事項はとにかく体重を増やさせる事。直接おっぱいから母乳をあげるのを諦め(相変わらず居眠りしてしまい、あまり飲まないので)、搾乳した母乳をあげるということに決めました。二度手間で大変でしたが、せっかく母乳が出ていたので、母乳育児をしたいという思いが強くあっての決断です。

退院後、毎3時間の搾乳(母乳分泌を促すため)の日々が始まりました。その合間を縫って、哺乳瓶を洗い、オムツを替え、母乳を温めてあげる。そして、眠れる時はそこで1~2時間寝ていました。

ありがたいことに、哺乳瓶からだとよく飲んでくれ、安心しました。

しかし、ここで新たな問題が発生します。たくさん飲んではくれるのですが、ゲップをさせても、たくさん吐き戻してしまうのです。毎回、フローリングが吐いた母乳で水浸し。私たちの洋服も濡れてしまいます。ちっちの顔色も良く、元気ではありましたが、心配の毎日が始まりました。

そして、生後2週間の検診で、体重がほとんど増えていないと指摘されてしまいました。それでも、小児科の先生も、私の母乳で育てたいという希望を尊重してくれて、5ヶ月の検診までは、あまり体重が増えていなくても、様子見ということにしてくれていました。その間私は、何度も助産師さんに相談し、色々と試してみましたが、結局、吐き戻しの量は減らず、体重がずっと横ばいのままでした。

この時期は、芳しくない体重増加に、カロリーの高いミルクをあげたい夫アルと、おっぱいが出ているのにミルクはあげたくない私のプチ言い争いも何度か勃発しました。

そして、5ヶ月検診の時に、1日に1回ミルクをあげるようにと指導が入りました。ミルクも吐き戻し対応のもので、通常のものよりとろみがあるものを選ぶようにとのことでした。このミルクに関しては、助産師さんから、便秘になる可能性も教えてもらっていたので、気をつけて様子を見ることができました。おっぱいをあげた後にこのミルクをあげると、とろみのおかげで、おっぱいも吐かないようになりました。便秘をすることもなく、吐き戻しの量も減っていった時期です。

そして生後5ヶ月からは、とろみの強いミルクのおかげ、離乳食のおかげ、娘の成長のおかげで吐き戻しの量も減り、順調に体重が成長曲線に戻っていってくれました。


紹介状を持って小児心臓専門医の元へ

1ヶ月検診で、心音を聞いた時に先生の表情が曇りました。「ご家族に心臓の病気がある人はいる?」と聞かれ、「もしかしたら何もないかもしれないけど、何もないとも言いきれないから、一応念のため。」と紹介状を渡されました。

後日、その小児心臓専門医の先生が働いている病院へ行き、専門的に診てもらいました。先生の診断は、「全く何の問題もありません。何も心配しないで大丈夫ですよ。」とのこと。私の親戚に、心臓の病気がある人がいたので、心配していましたが、何も遺伝していませんでした。小児科医の先生が何に引っかかったのかわかりませんが、何もなくてよかったです。一緒に付いてきてくれたお義母さんと、ホッと胸を撫で下ろしました。


乳児血管腫(いちご状の赤あざ)が剥がれて膿み、救急外来へ

乳児血管腫(いちご状の赤あざ)とは、生後数日から数週間に徐々に出現する、皮膚から盛り上がった赤あざです。いちごを半分に切ってはりつけたような見た目から、いちご状血管腫と呼ばれているようです。この赤あざ自体には何の問題もなく、時間と共に自然と消えていくものだそうです。

私や私の日本の家族は初めて目にしました。

夫アルのお母さんは、「アルも赤ちゃんの時に、同じ場所にこの赤いあざがあったのよ。偶然ね。」と言っていたので、フランスでは珍しくないのかもしれません。(蒙古斑みたいな感じ?)

2ヶ月検診の時、小児科の先生の表情が硬くなりました。「この血管腫いつから剥がれてるの?ちょっと写真撮ってもいい?」

先生曰く、血管腫自体に問題はないが、それが剥がれているのは問題だということです。その後、小児科の先生が直接専門医の先生に連絡を取ってくれる事に。この時点で、何かただならぬ雰囲気を感じていました。しかし、時期はクリスマス前。中々返信がこないと連絡が来ました。医者同士で連絡がつかなければ、何のコネもない素人が連絡したところで何の意味もありません。

そうこうしているうちに、剥がれたかさぶたの周りが膿み始めて来ました。再び小児科医に連絡を取ってみても、専門医からは返信はまだなく、小児科の先生では何も出来ないとの事。結局、大学病院に救急外来で行く事になりました。予約をしていても待つのが当たり前のフランス。予約なしの救急外来で、1日がかりを覚悟していましたが、1時間くらいの待ち時間で診てもらえました。生後数ヶ月の赤ちゃんということで、優先的に診てもらえたのかもしれません。

そこでは、とりあえずの処置をしてもらい、傷口を乾燥させるクリームの処方箋をもらって帰宅します。日曜日だったので薬局も開いておらず、祝祭日に開いている薬局を探し、ようやくクリームを入手し帰宅しました。


後日、小児科医の紹介で血管腫の専門医の元へ

ようやく、血管腫の専門医に診てもらえることになったのは年明け後の2月28日。

実に、異変が生じてから2ヶ月の月日が経っていました。(こういうのはフランスではよくあります。)

コロナの関係で待合室に入れるのは一人だけ。授乳があったので、私とちっちで入りました。でも、診察の時はアルの入室も認められ、ホッとしたのを覚えています。

また、重病患者専門の待合室だったため、重い病気を抱えて大変そうな子ばかりが目に入りました。小児科の先生から、そこで見る子たちのような重度な病気ではないから、心配しないようにと言われていたことを思い出しました。

フランスではドクター(docteur)の称号を持つ一般的な医者の上に少数、プロフェッサー(professeur)の称号を持つお医者さんがいます。今回の先生がまさにそのプロフェッサー。

それだけでも、娘の血管腫の膿はただごとではないのかなと心配になってしまいました。研修医の先生が娘を診察し終わったところで、プロフェッサーの登場です。

診断表を見てから、娘の血管腫を観察したプロフェッサーによると、血管腫は良性で、膿の乾いた今の状態だと心配する必要はないとのことでした。この血管腫がもう一度剥がれてしまった時は、すぐに処置をする必要があるため、プロフェッサーに直接連絡を取るようにと言われました。

専門医からの、「今のところ問題ない」という診断で、2ヶ月間の心配からようやく解放されました。まだ再発の可能性もありましたが、その時はすぐに診てもらえるということで、少し安心しました。


ギャン泣きの相談に乗ってくれない小児科医、話を聴いてくれた助産師さん

産まれた日から入院中、ずっとギャン泣きで寝なかったちっち。原因は、おっぱいが上手に飲めずにお腹が空いているからでした。この時は、ミルクをゴクゴク飲んだ後は、静かに寝ていたので、本当に空腹で泣いていたのだと思います。

しかし、退院してからは搾乳した母乳を哺乳瓶でよく飲んでいました。吐き戻しも多かったのですが、その時はもっとおっぱいをあげていました。それでもずっと泣いていました。おっぱいを飲んでも、オムツを替えても、ずっとギャン泣きの娘。何が原因で泣いているのかわからず、ほとほと困り果てていました。

そこで健診の時に、小児科の先生に相談しましたが、「赤ちゃんなんだから、泣くのは当たり前。」と真剣に取り合ってもらえませんでした。毎回お決まりで「何か心配なことはありますか。」とは聞きますが、それを掘り下げるつもりは無さそうです。

小児科医から突き放され、誰に相談したらいいのかわからず途方に暮れました。

そこで、ほとんど寝れずに寝不足のワタシは、泣く泣く、今までお世話になっていた助産師さんにメールで相談してみました。すると、その助産師さんとの予約が取れ、話を聞いてもらえることになりました。

高圧的な小児科医とは対照的にじっくりと話を聴いてくれた助産師さん。大変だった日々や、心配なことを、何も言わずに頷きながら聴いてくれただけで、心は少し軽くなりました。

そして、ひと通り話が終わると、「お腹にガスが溜まっているから、吐き戻しをしているのだと思う。そのガスのせいでお腹が痛くて泣いているかもしれないね。赤ちゃんを専門に診ている整骨医の先生がいるから、そこに行って診てもらってみて。」と連絡先をくれました。


泣きっぱなしで寝ない、赤ちゃん専門の整骨療法へ

家に帰ってから、早速その整骨医(ostéopathe)の先生の予約を取りました。数週間から数ヶ月待ちが当たり前のフランスで、すぐに予約が取れて驚いたのを覚えています。

予約当日、赤ちゃんの扱いに慣れた先生は、まだ小さなちっちを仰向けに寝かせ施術を始めました。驚くことに、泣き虫のちっちが泣きませんでした。

そしてすぐに、「身体中ずっとに力が入っていて、力が抜けていない。首が埋もれてしまっていて、首を上下左右に動かせない。背骨も詰まっているから、体を真っ直ぐにできない。だから仰向けに寝かされると背中を丸めていられないから、キツくて泣いている。」と娘の状態を説明してくれました。

娘はベッドなどの平らな場所に寝かされると、ずっと泣いていました。仕方がないので、身体が丸まるバウンサーや持ち運びの出来るチャイルドシートの中にいることが多く、その中で寝てもいました。「身体を真っ直ぐにするとキツくて泣いていたのか。」と、先生の診断に納得です。

そして、「お母さん、妊娠中お腹小さめではありませんでしたか。」と私に聞きました。実は、妊娠中、会った人全員から、「えっ、もう○ヶ月なの?」とお腹の小ささを指摘されていたのです。骨盤も狭くて小柄なアジア人だから、白人からすると小さく見えるのかなくらいにしか思っていませんでしたが、そうでもなかったようです。

娘は、2600gと、小柄ではありますが、正常な体重で生まれてきました。しかし、お腹が小さかったため、お腹の中で圧縮されていて、全ての骨が詰まってしまっていたようです。この詰まりを少しずつ緩めていくことで、無駄な力みがなくなっていくとのことでした。そうやってリラックスできるようになっていくと、身体を自由に動かせるようになり、また、仰向けでも寝られるようになり、ギャン泣きの回数も減っていくだうというのが先生の診断です。

吐き戻しの相談もしてみました。すると、授乳時の体勢やミルクのあげ方の指導もしてくれました。哺乳瓶の飲み口のサイズを変えてみると、ガスが入りにくくなると教えてもらい、早速サイズの違う飲み口を買ったりもしました。哺乳瓶の飲み口にもサイズがあるなんて全く知りませんでした。またひとつ学んでいます。

それから数ヶ月間、その先生の元に通い、少しずつ詰まりをとってもらいました。保険がきかなかったので、(運動療法士 : kinésitérapeute は保険適用ですが、整骨医 : ostéopathe は保険適用外)毎回65ユーロの診察料の払い戻しはゼロ。家計にはキツかった時期ですが、吐き戻しの量も減り、ギャン泣きの回数も減っていき、少しずつ良くなっていったのでよかったです。


まとめ

ここに書きながらも、本当に色々と大変で心配な時期だったなと思いました。救急外来を始め、色んな専門家を渡り歩きました。出不精の私も、娘のおかげで、外に出ざるを得なくなり、少し成長できたのかもしれません。

今となっては、こんな大変な時期も、私たちには必要だったのかもしれないと思っています。娘の健康状態を前に、私たちの親になったという自覚や夫婦の団結は、より深まりました。

健康に育ってくれる事のありがたみも日々実感しています。

この時期を乗り越えてからは、大病をすることなく、元気に1歳も2歳も迎える事が出来ました。

現在は、自我も芽生えてきて、イヤイヤ期真っ只中のちっち。当時とはまた別の大変さに振り回されながら、毎日子育てをしています。そんな時は、健康の心配がないのならば大丈夫と自分を励ましながら、頑張りたいと思います。

世の中のお父さん・お母さん、今日も子育てご苦労様です。




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